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2017年11月の話
 
ふたつの感謝
​松下育男

 

 今日は2つの感謝について、初めに少し話をしたいと思います。それからみんなの詩を読んでいきます。

9月4日に事故を起こしてそのまま入院、10月28日に退院しました。9月4日というと、覚えているんですが、1週間後に詩の教室が予定されていて、病院でまず思ったのは、キャンセルしなきゃならないな、残念だな、申し訳ないなということだったんです。

 で、廿楽さん、坂多さん、和田さんに病院からメールを送って、「部屋のキャンセル代はいくらになるでしょう」とか、そんなメールをしたことを覚えています。

ところが、予想外の方向に物事は進んでいって、「いや、松下さんがいなくてもやりましょう」ということになった。

 これって、僕にとってはすごく驚きだったし、なんだか嬉しかった。

 ああそうなんだ。詩の教室もそんなところまで気が付かないうちに育っていたのか、しっかりしたものになっていたのか、強いつながりのものになっていたんだなって思った。折れた脚は痛かったけど、なんだかひそかに感激をしていた。

 それもこれも、廿楽さん、坂多さん、和田さんのおかげではあったし、そればかりでなく、参加者の思いが教室へ向かっていなければ出来ないことだったんだなと思うわけです。つまりこの詩の教室は、もう僕のものではなくて、自分で勝手に動いて行ってくれる、自分たちでお互いに育つようにしようとしてくれている、そんなふうに思ったら、骨折して心細かったせいもあるけど、すごく感動して、みんなにホントに感謝をしたかった。これが一つ目の感謝。

ありがとう。

 で、結局は9月の会だけではなくて、10月も出られなかったわけだけど、送られてきた詩はしっかり読んでいた。もう何ヶ月もみんなの詩は読んできているから、病院のベッドの上で、つまり時間はたっぷりある毎日の中で、いろんなことを考えた。

 つまり、「この詩の教室は何のためにやっているのか」っていうこと。「なぜこの詩の教室に参加してくれるのか」ということ。

 たぶんそれって、別に事新しい理由があるわけじゃなくって、参加者それぞれの中で、自分の創作に悩み、うまく書けないことに日々情けない思いをし、もしかしたらあそこに参加すれば、何らかのヒントが得られるんじゃないか、自分の作品のたどり着くべき場所がもっと高い所になるんじゃないか、ということなんじゃないかなと思う。

 実は僕は、こういった詩の教室は今までに2度経験している。つまり横浜の教室は3回目の試み。1回目はもう30年も前になるけど、「東京詩学の会」っていって、新宿でやっていたんだけど、これに嵯峨さんに誘われてやっていた。それから震災前だから7年前くらいかな、この横浜の会の前身を、西荻窪のほうでやっていた、それが2回目。

 その時にも、それぞれに優れた詩が提出されていたし、印象的ではあったんだけど、その後、素敵な詩人になっていった人が何人かいたわけなんだけど、今度の横浜の教室では、ちょっと違った経験をさせてもらっている。というのも、前の詩の会では、優れた作品はもうそれを書いてもおかしくない人が書いていた。やっぱりこのヒトはすごいなっていう感じだった。

 でも、この横浜の詩の会は、それだけじゃないって少し前から感じていた。なんというか、この詩の教室の中で、まさにこの中で、ぐんぐん育ち上がってゆく才能を目の前で見せてもらっている。そんなことってめったに出くわすことができない。つまり、上手い人がうまい詩を書いてくるだけじゃなくって、参加者によっては、前回までの詩とは違う何か(曖昧な言い方だけど)、もっとはるかを見通して、もっと見事に自分が見えてきていて、こんなことをこんなふうに書けるのだったかと気づいたような、すごいな、明らかに才能が伸びているなという人が何人かいる。これって、僕にとっては嬉しい驚き。そのことにしっかりと感謝をしたい。これが二つ目の感謝になる。

ありがとう。

 で、そういう脱皮をとげている人って、この教室のほとんどの人がそうであるように、自分の感性にしつこくこだわっていて、いつも同じ辺りをうろうろしていて、繰り返し同じ場所に帰っていって、だめだだめだと自分を責めている。

 唐突だけど、詩って、帰り道の文学なのかなって思う。欲張らない。自分の感性を表現することだけに集中する。過大に考えない。詩を書き始めた頃の場所に繰り返し戻ってやりなおす。何度も何度も帰ってゆく。積み重ねなんか信じない。新しい詩を書くたびに、もとの場所へ戻って、またいつものやり方で悩んで、だめだなと思って、でもせめて背の高さだけのものは書いておきたいと思う。その繰り返しこそが、才能を伸ばす方法なんだと思う。そうやっているうちに、それぞれの参加者が次に行けるようになるんだと思う。

 この教室で、そうやって才能を伸ばしている人がじかに見えたことは、ホントに嬉しいし、そのための場でこの教室はありたいと思う。

 だから、提出された詩がどう書かれたかとともに、これからどうしたらよいのかということも、お互いに言ってあげることが大切だと思う。

 僕が別の理由で仮に、将来来られなくなったとしても、みんながお互いの脱皮を手助けできるような、そんな場所にこの教室は、なってくれると信じたい。

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