

2019年1月の話
山内清の詩について
松下育男
今年初めてのbuoyの会ということで、今日もとりとめもなく話をしてみたいと思います。「山内清の詩について」という題です。
平成31年になって、今年が平成最後だとか、新しい元号はいつ発表されるとかテレビでも新聞でもはやし立てています。
僕なんか西暦があればそれでいいじゃないか、わざわざ元号なんかつけるから西暦何年が平成何年とか昭和何年とか、数字を合わせて覚えなきゃならなくて面倒だなと思うわけだけどどうしていつまでも元号をつけたがるんだろう。
元号と言えば気になっているのが「昭和」と言うときのアクセントなの。昭和の間はショーワっていうふうに強弱なしに発音していたと思うんだけど、最近時々ショーにアクセントを置いて発音するのを聞くことがある。あれってどこか昭和を揶揄しているように聞こえてしまうのは僕だけなんだろうか。まあどうでもいい話なんだけど。
昭和といえば昭和の雰囲気を漂わせているのが銭湯なのかなと思う。銭湯を舞台にした「時間ですよ」というテレビドラマをBSで毎日放映していて、たまに家内と一緒に観る。
女性の胸を映したり、いかがなものかと思うところもあるんだけどすごいなと感じるところもある。特に向田邦子の脚本の回は特にそう感じる。今さら僕が向田邦子のすごさを話しても仕方がないんだけど詩を書くことに通じるものがあるなって思うからちょっと触れてみたいと思います。
ドラマの中で悠木千帆と堺正章がコントをしょっちゅうやっていて、そのコントにはいくつかのパターンがあって、そのひとつがさえない中年女性であるところのハマさん(悠木千帆)を、人生を今生きている若者であるところの堺正章がからかったりいじめたりするというもの。
そのいじめかたが、もちろん笑いを誘うためにやっているんだけど、なぜ観ていて笑うかっていうと、特に取り柄のない中年の女性の希望のない生き方をあげつらっているからなのね。
笑いながら観ているほうも、どこか後ろめたく感じているし、あるいは笑われているハマさんとは、それを観て笑っている視聴者そのもののことでもあると視聴者は知っているから、つまり自分のことでもあるから余計に泣き笑いのようになる。
というのもテレビを観ているのはとくだん人に自慢することもない人たちで、地道に生きていて小さなことに自分なりに喜んだり悲しんだりして、誰になにを誉められるわけでもなく生きている人々なんだ。
そういう特に取り柄もない、美人でもない、スタイルがいいわけでもない、きれいな服を着ているわけでもない、家柄がいいわけでもない、センスがいいわけでもない、頭がきれるわけでもない、なにができるわけでもない、でも日々一人の人としてそういう状態を受け止めながら悩みながら生きている姿を悠木千帆は演じていて、そのなにものでもない女性をこれでもかというほど堺正章がいじめて笑いものにする。
その残酷さって目を背けたくなるほどの時がある。そういう何でもないものの悔しさとか、何でもないものに残酷になる人の怖さを向田邦子はあからさまに書く。
主人公は別にいて、もちろんメインの役者である森光子や船越英二の演技もすごいんだけど、その脇にいる人の中に、人の心の痛みや鈍感さをすごく上手に描いている。向田邦子と悠木千帆の組み合わせって、奇跡のようなものだなって思いながら観ている。
で、むりに話をこじつけるつもりはないんだけど、詩も同じなんだろうなって思うわけ。
目に見えやすいものごとを、その正面からあたりまえに書いているだけでは真実には近づけない。
むしろ、
つい見落としてしまうもの
気がつかずに傷つけてしまっているもの
気にもとめなくて無視をしているんだけど
無視をされているほうはつらい思いをしているのに
それに気づきもしないもの
そういう
一見なんでもないものの中にしか見えないもの
ささやかな機微
悔しさ
小さな希望
あきらめ
そういうのが見えてこなければ表現が薄っぺらになる。
人が見つめるものをあとからそのそばに行って一緒に見つめるのが創作ではない。
見えていてもそうと意識しなければ見えてこないもの
振り返ろうとしなければ見えてこないもの
脇に追いやられているものをしっかり見つめることが
大切なんだと思うわけ。
あたりまえなんだけど、人の気持ちの痛みに気づこうよということ。そのまなざしが詩を一段上に持っていってくれるんだと思う。
(書いてみなきゃわからない)
話をちょっと変えてこれは昨年の話。昨年はいろいろありました。いろんなことがあったんだけど一番印象的だったのは思潮社が始めた詩の教室のこと。その教室の中で何回か強調したのは、詩を書いてゆく上で何が大事かということ、どんなところが一番大切かっていう話。
簡単に言うとね、詩を書くって手元の作業だよということです。詩の発想を得て、ああ自分にも何かが書けるというわくわくした思いがわいてきて、それをどんな言葉で表そうかと頭をめぐらせて、様々な工夫をしてやっとできた1篇。そこにこそ詩を書く意味がある。
生きていて、やることはいっぱいあって、用事も沢山あって、時間もないのに詩なんか書いているのはその瞬間の充実感があるからなんだということなんです。
詩を書く、詩を書いているその自分と詩と二人きりでの作業に没頭することの喜びは他の何ものにも変え難いもの。
何がいいたいかっていうとね
それででき上がった詩が
うまかったり
へたくそだったり
誉められたり
けなされたり
それで賞をとったり
人より秀でたり
名誉を得たり
えばれたり
そんなことは意味がないとまでは言わないけど、詩を書いていることの、あるいは自分の表現を見つけた時の手元の喜びに比べたら持っている意味は小さいっていうことなの。
それでもね、せっかく書くんだから人と分かち合えるものを書きたいと思う、この喜びを分ってもらいたいとも思う。それは当然の気持ちの流れであって、だから詩の勉強をするわけだけど、間違ってはいけないのは、それでも一番大切なところは忘れないようにしたいっていうこと。
手元の喜びは忘れないようにしないと書くものが汚れてくる。ただ誉められたいから書くっていうふうになってくる。本当に書きたいという方向からずれてくる。それは書き手がしっかり書くものを守っていてあげなければいけないものだと思うわけ。
で、書く喜びが大切だ、自分の表現を見つけることが大切だっていうことを根幹に置いて、でももちろん現れてくる詩は人によってさまざまなわけ。
(正月に考えたこと)
また話が変わるけど、人の詩を読んでいるとたまにとんでもなく素敵な詩を書く人に出会いますね。才能のある詩人って確かにいます。この人にはとうてい敵わないという詩人。でね、そういう詩人ってすごくうらやましいと思う。それは自然な考えかたですね。
でも、例えば自分がもしそういう詩人だったらどうだろうってこないだ考えたわけ。正月にね、暇だから。
自分が自分のうらやむような詩人だったらどんなふうだろうかって考えてみた。そうするとね、もしかしたらそれほどすばらしい気分ではないんではないかって考えたの。仮にそういう詩人になれたとしても気分は今の自分とそれほど変わらないんじゃないかって思った。
つまりね、そういう詩人も今の自分も、なんとかすぐれた詩が書けないかと苦心しているという状態でいるわけで、だったらなんら変わらない。
自分がどの位置にいようとそんなの関係がない。そこから少しでも上に自分の詩を高めてあげようと試みるしかないわけだから。
言い換えるなら、才能のある詩人はすぐれた詩を沢山書いているから才能があると言われているけど、だからっていつもいつもすぐれた詩を書いているわけではない。
これも考えてみれば不思議な話でね。モノを作るって、同じ人が、同じ素材を使って、同じような発想を得て作っても、素晴らしいものができたりそうでないものができたりする。そういうのってどうしてなんだろうって思うわけ。
例えば廿楽さんが詩を書いても、よくできた詩とさほどでもない詩ができてくる。これって不思議なことですよね。不思議だけどね、そこがモノを作る、詩を作ることの魅力でもある。書けば必ず傑作になってしまうようならたぶん書くのに飽きてしまう。それに、そうなるともう傑作ではなくなる。
そうではなくて、やってみなければ分らないもの、同じ人が同じ条件でやってみてもうまくいったりいかなかったりするもの。それが詩の素敵なところなんだと思うわけ。
どんなに有名な詩人もその人の手元ではひどいものも書いているだろうし、なんでもっといいものができないのだろうといつも悩んでいる。
(野球と詩)
詩って、いや詩だけではなくて、ものを作るって、そういう意味で野球と似ているところがあるなと常々感じている。
どういうことかっていうと、打者がボールをバットで叩きつけて、でもそれがヒットになるか内野ゴロになるかっていうのは、真っ心でボールをとらえたかどうかっていうことだけで決まるわけではない。それだけでは決まらない。そこには様々な別の要素が加わってくる。
その要素って、例えばぼてぼてのゴロなのにグラウンドの状態によってイレギュラーバウンドになってたまたまヒットになったり、守備の位置がいつもと違っていてヒット性のあたりがとられてしまったり、あるいはそのボールの縫い目にピッチャーの指がどれほど触れていたかとか、その日の湿度の具合やボールのとんだ先の空気の具合やその他もろもろいろんな要素によって結果が左右される。こうしたからこうなるとは決まっていない。
もっと簡単な例で言うなら、遠いところにあるゴミ箱に紙くずを投げてみるようなもの。紙くずがゴミ箱にうまく入ることもあるし、はずれて床に散らばってしまうこともある。
すぐれた詩が書けるかどうかの境目も案外それと似たようなものなんではないかと思う。もちろん入る確率の高い人と低い人がいて、日々狙いを定める必要があるわけだけど、詩も同じ。
書いてみなければ詩が傑作になるかどうかはわからない。
もう一度言います。
書いてみなければ詩が傑作になるかどうかはわからない。
だから謎めいているし、だから面白いのだと言える。
もちろんインパクトのあるテーマをもっていたりすれば傑作になる可能性はあるけれども、それにしたってテーマによって詩の良し悪しが決まるわけでは必ずしもなくて、どんな言葉でそれを詩にするかによって、あるいは途中の単語一つのはまり具合で詩の価値が決まったりする。
それまで学んできたものを駆使して、全力を尽くして書いても、書いているときにはそれがすぐれた詩になるかどうかはわからない。書いてみて、あとで読者の目で読み直してみるまではわからない。そういうものなんじゃないかなって思う。
才能のある人だって同じ。ともかく書いてみる。書き始めてみなければよい詩が書けるかどうかなんてわからない。書き上がって、ほっとして、そののちに判定が下る。そういう意味では詩を書く人はだれしもが平等なんだと思う。
いつもいつも失敗作のない詩人なんていないと思うし、もしそういう人がいたとしても、安定してできあがってくる作品なんて心を打つものにはならないと思う。
もっと曖昧なもの
もっと不安定なもの
そういうものしか人の心をうつものはできないと思う。
作り物っていうのは作る人の頭脳や意志だけででき上がるものではない。うっとりするような偶然が入り込んで、その偶然が手助けをしてくれるから傑作ができあがるんだと思うわけ。だから、繰り返すけど、書いてみなきゃよい作品ができ上がるかどうかはわからない。
詩人ができるのはひたすらに書くこと。ひたすらよかれと思うものを書くこと。余計な欲を持たずに真に自分が書きたいものを書くことに専念していれば、たまに詩の真実に当たることがある。そういう心構えを持って書いていくしかない。
書き上げた個々の詩がすぐれたものになるかどうかは、極端に言えば自分の努力とは別の次元で決まる問題なのかなと思う。だから書いてみて、それが傑作にならなくても作品を責めない、自分を責めない。だって、自分だけではどうにもならないことが入り込んでいるのだから仕方がない。
ともかくよいと思う方向へ向かって書いている。あとは詩の外の何かがその価値を決めてくれる。そういうふうに考えればいい。
でも、その書いてみなきゃのところまでもたどり着かないときもある。つまり傑作だろうがつまらない詩だろうがかまわないんだけどそもそも詩が書けない、なにも思いつかないという時。そういう時もある。
(詩が書けない)
昔の話だけど、僕は30代でもう詩が書けなくなってしまった。書けなくなったなら書かなければいいじゃないかって思うかも知れないけど、確かにそうなんだけど、不思議なものでその頃にかぎって原稿依頼が来るようになっていた。ホント皮肉な話だなって思うわけ。
振り返って思い返せば原稿依頼がそれなりに来ていた時期って、長い生涯の中でその二年か三年の間だけだったのね。僕はそういう一番大切な時期に詩が書けなくて途方にくれていた。
僕の机はその頃部屋の一つの壁にくっついていて、詩が書けなくて何も思いつくものがなくて、会社から帰って、でも書かなきゃ明日は〆きりだしと思って、ずっと白い壁をにらみつけていた。でも見事に何にも思いつかない。思いついたとしてもホントに日常使っている言葉や、ありふれた考え方そのままの目も当てられないものばかり。
今考えればその当時は、余計なことを考えて詩を書こうとしていた。少し誉められて、自分が何ものかであるかのように錯覚をしていた。だから詩を書く手元の喜びを忘れていたんだろうと思う。情けない話だけどそういう状態だったんだなって思い出す。
で、その時はただ壁を見ていてもなにも進まないからどうしようと思って、まず考えたのが自分はどんな詩を書いてきたんだろうということ。それで自分の詩集を開いて読んでみた。そうするとこんな詩はとても書けないなと思い始めてさらに追いつめられた気持ちになってくる。
要は、自分がかつて書いた詩を読んだりして書きかたを思い出そうとするんだけど、そういうのってなかなかうまくいかない。自分の背中は自分では押してあげられないのだっていうことがわかってくる。かつての自分をまぶしく感じ始めたらおしまいだと思う。
そんなの関係ない。今ここにいる自分が今の頭で詩を書くしかない。
で、じゃあ詩が書けるためにはどうしたらいいかっていうと、次に考えたのは心を奪われている詩に戻るしかないんじゃないかって考えたわけ。自分を詩に向かわせてくれたものに戻る。どんな詩のどんなところに心を奪われたのかを思い出す。
(帰る場所)
今思い返すと、そんなときに、詩が書けないときにいつも帰っていった場所がひとつあって、僕にとっての帰る場所は「山内清」という詩人だった。
山内清の詩集を開いて、なんとかこの詩のようなものが自分にも書けないかという思いで読んだ。だから山内清の詩を読んでいると、その向こうに必死になって詩に向かっていた若い頃の自分の姿を思い出す。そういう意味で個人的には苦しい詩でもある。
でも、読んで見ればわかるけど、山内清の詩って、まさに詩そのものといえる。ちょっとひとつ読んでみましょうか。
☆
「木になるたのしみ」 山内清
夕ぐれの路上で二人の少女が笑っている
笑いながら二本の木になっていく
さげているカバンも
着ているセーラー服もスカートも木になっていく
暗い台所からあふれてくる暗い水に
つつまれて
その日もくれていくのだが
二本の木になった少女がまだ笑っている
肩いっぱいへの風の重量をうけて
あれは木ではなくて木になった少女
あれは少女ではなくて少女になった木
やがて木の葉にやどってくる夏の死者たちや
二本の木をとりかこむ大きな夜が
あるのだが
二本の木になった少女がまだ笑っている
木のまなざしがもう一本の木を見つめている
夕ぐれの路上で交錯しているあしたと今日の日
そのなかに二本の木がたっている
私が見ていたのはたったそれだけのことなのだが
私のほかの誰もがそれには気づいてはいなかった
☆
分かりやすいとか分りづらいとか、意味が通っているとか意味が飛躍しているとか、何を書こうとしているとかいないとか、そういう理屈を超えたところにある詩。
読み手に寄り添ってくれている詩、へりくだってはいない詩、読者と尊敬しあえるような詩。僕にはそういう詩に見える。
山内清さんの詩は、その詩の中でこの世界とは別に生きている。詩の外にどんな言語や、どんな常識や、どんな国語や、どんな文法や、どんな論理や、どんな道理があったとしても、それとは別に山内さんの詩の中には山内さんの詩の中の言語や、道理や、文法や、常識がある。
それを受け止めることは「詩を読む」というよりも「詩を感じる」ということに近いと思う。真にすぐれた詩はその詩のよさを言葉では説明できない。説明のできるよさっていうは限界のあるよさではないのか。詩は、詩の外でそのよさを説明することはとても難しい。
言い方を変えるなら、詩の外で説明することの難しい詩こそ、僕が求めている詩であり、真にすぐれた詩ではないかと思う。だから詩の外の読み方で、この詩は平易だとか難しいとかと言っていても、仕方のないところが詩というものにはある。読み手に食い込んで、生涯抜くことのできない詩の鋭い行とはそういうものだと思っている。
僕の話にはたびたび石原吉郎のことが出てくるけど、山内さんの詩の本質はどこか石原吉郎の詩のでどころに近いものがある。どちらがどちらに影響を受けたというよりも、日本語で書かれた上質の詩がたまたま同じ方向に顔を向けていても不思議ではないし、ありうる話なのだなと思う。
ネットで見た限りの情報だけど、山内清さんは高石市の市役所に勤務するかたわら詩を書いていた。現代詩だけではなくて歌の歌詞、特に反戦詩を書いている。中川五郎という歌手に詩を幾つか書いている。たとえば次のような歌詞。
☆
いつのまにか (詞=山内清、曲=中川五郎)
いつのまにか そこで戦争が
行われているのがあたりまえになり
朝刊に戦争の記事がのっていないと
ほんとうの朝が来たと 信じなくなり
いつのまにか そこで人が
死んでいるのがあたりまえになり
殺されるにんげんの苦しみがきこえてこないと
生きていると 信じなくなり
いつのまにか そこで国が
こわされてるのがあたりまえになり
耐えているにんげんが
むくわれなければならないと 信じなくなり
いつのまにか そんなひとたちは信じている
わたしのくにに戦争が おこるはずはない
わたしの家族にそんな不幸がくるはずはない
けれどももうすぐ自分を見失った
あなたの死体が
朝刊にのってはこばれてくる
焼けただれたあなたのくにが
朝刊にのってはこばれてくる
それはもう近い ごく近い
☆
高石市のことも特に知っていることもないし、山内さんがどんな仕事をどんなふうにしていたのかはわからない。
でもどんな詩を書いていたのかは、幸いにも詩集が何冊もあるから遠い横浜に住んでいる僕にもわかる。
この、すぐれた詩に生きた人のことがわかるっていうことは、あらためて考えてみれば気絶するほどに素敵なことだと思う。
どこかの市役所に勤めていた本物の詩人。僕とは生まれた日時も違っていて、生涯会うこともなくて、顔も知らなくて、でも言葉の一つ一つが間違いなく僕を刺し貫いてくれる。その詩行が僕の人生の中に時折思い出されてくる。
空を見たり音楽を聴いたりするのと同じように、山内さんの詩がぼくの人生の中にしっかり置かれている。こういうのってすごいなと思う。詩を読むってすごいことだなと思う。
生きるっていることは僕にとっては、素敵な詩をひとつ読めたっていうことだけでもう充分なんだなって思う。
(直接詩人と間接詩人)
たぶん、だれしも好きな詩人って何人かいますね。で、その好きな詩人についてなんだけど、長年詩を読んでいると、好きな詩人って沢山いるなって思うだけでごっちゃになってしまっているけど、考えてみるとたぶんその「好き」っていうのは二種類に分けられるのではないかと思う。
一つ目は、なんていうか詩を読み始めた頃に持って生まれた感性によって引きつけられていった詩人、それによってとらわれてしまった詩人。何も媒介せずに直接好きになったからそういう詩人を仮に「直接詩人」と名付けてみよう。
もうひとつは、評判が良かったり、友人がいいというから読んでみたり、評論の中ですぐれた詩として引用されていたり、これをいいと思わなければまずいんじゃないかと思われるような有名な詩人だったり、つまり何か別のきっかけがあってある程度詩を学んだ後に好きになった詩人。こちらは「間接詩人」と呼んでおこう。
大切なのは、間接詩人だからといって、直接詩人よりも重要度が低いかというとそんなこともないということ。
山内清さんは、僕にとっての「間接詩人」なわけ。
たぶん僕が詩を書き始めた子供の頃に読んでも、そのよさを感じられなかったんじゃないかと思う。だから「直接詩人」とは言えない。
直接詩人ではなくても僕にとってはとても大切な詩人。
あるいは、学んで後によさを感じることのできるようになった間接詩人だからこそ頼る事のできる、生涯もどることのできる場所になりえたのかも知れない。
詩に苦しんでいた頃に出会った詩人
だからこそ大切な詩人なのです。
もう1篇読んで話を終わります。
☆
「せかいの片側」 山内清
どんな取引があったのか
その日のかぜが
道路にならべられたナベ·カマ·コップと
いっしょに
せかいの片側を奪っていったのだ
せかいの片側は眩しいカガミのせかいで
いくつものこわれたまどが
そらいっぱいにならんでいて
ひとつずつの死体を吐き出している
どんな取引があったのか
せかいの片側へころがりこんでいく
なんにんもの眩しいおとこたちの
眼のなかには
メロンやスイカがならんでいて
眩しいおとこたちといっしょに
せかいの片側で
なにかにかわろうとしているのだ
せかいの片側の眩しいカガミのなかには
顔面いっぱいのつらい血や
痛みとなってひびくサイレンがつづき
ちゃいろのにじや
雨を生む木がならんでいて
こわいいがぐり頭がなにかを言おうとして
わたしを見つめているのだ
どんな取引があってその日のかぜは
せかいの片側を奪っていったのか
ふくれた舌ばかりがせかいの片側から
なにを叫んでいるのか
古新聞と死んだとりがまいあがっている
せかいの片側に
どんな寒さがやってくるのか
その日のかぜは黙ったままで
夜をつくっていく
☆
話をまとめるつもりもないんだけど、僕がなぜ山内さんの詩に惹かれるかっていうと、今日の話の初めの「なんでもないものの悔しさ」がしっかりわかっていると思えるから。うっかり見落としてしまうものにきちんと目を落とすことができているからなんだと思う。
こういう詩を書けるようになりたいと、つくづく思う。