

2018年8月の話
両方の目をもつ
松下育男
(始めに)
今日はなんの話をしようかなと思って考えていて
というのもスパイラルスコレーの方で
このところ詩の話をたくさんしていて
この時期にわざわざ別の話題を持ってくるのも
ちょっと違うかなという気分で
こちらはこちらでしかできない話をしたほうがいいかなと
思ったわけです
で今日は身近なところで
この「buoyの会の話」でもしようかなと思っていたら
その流れで、
「ヒトの詩を読む」っていうことを考えて
つぎに
「常識にもどる」っていうことを考えて
もっと考えていたら「両方の目」という考えに落ち着いた
だから今日は
「両方の目をもつ」っていう話をします
(buoyの始まり)
ではまず
buoyの話から始めようかと思います
この教室が始まったのが昨年の5月
でその前の月だから昨年の4月に
この建物の中の「アジサイ」というレストランというか食堂で
Tさん、Sさん、Wさんと初めて話し合いを持った
詩の教室の準備委員会のようなもの
Tさんとは前からの知り合いだったけど
SさんとWさんとは
その日が初めて会った日だったわけ
でももうみんな10代の少年少女じゃないから
人生たっぷり味わってきた4人だから
初めての話し合いも特に緊張をすることもなく
決めることはすみやかに決めて和やかに終わった
この会の名前は最初
「初心者のための詩の書き方教室」とか
そんな長い名前だったと思うんだけど、
それだと長すぎて
ツイッターにお知らせを書くときに
ほかの情報があまり入らなくなったことを覚えている
3人には事務局をやってもらうことにしてこの会を始めたんだけど
みんなも思っているように
こんなに豪華なメンバーの事務局を持った詩の教室は
どこにもない
それだけでも僕にはすごくうれしかった
胸をはる気分だった
(似た気分)
で
この気分というか
状態って何かに似ているなって考えて
思い出したのが僕が勤め人の時に
一時その会社の管理会計と財務会計を両方みてくれって
言われたときと
すごく似ていると思った。
小さな会社じゃないし
僕にとっては重責なわけ
すごくプレッシャーを感じた
というのも僕は会計について
どんなバックグラウンドも持っていない
会計士でもないし税理士でもない
いちおう早稲田の経済は出たんだけど
なにも勉強しないで卒業した
自慢できることじゃないんだけど
早稲田のいいところは
そんなヤツでもとにかく卒業させてやれっていう
度量の大きさがあるというところ
今は知らないけど昔はね
そういうあいまいさが、いい意味であった
まあそれはともかく
その時に僕が会社で何年間か
管理会計と財務会計を同時に見ることができたのは
間違いなくチームに
僕よりも優秀な人が何人もいたからなわけ
その時の感じが
この詩の会を始めたときと似ているなと思ったってわけなの
つまり
僕よりも優秀な詩人が何人も周りにいる
あの時と同じだなって
(会計の常識)
で会社で周りに優秀な経理に詳しい人がたくさんいて
では僕は何をしていたかというと
なんというか
いろんな会計上の問題に対して
僕の常識ですべての受け答えをしていたわけ
常識にもどって、この取引はどうなんだって
考えていたわけ
つまり確固たる知識がないから
通常こうなるだろうなという考え方で判断をしていた
会計の分厚い本に精通している人が
きちんとチームにはいたから
CPAとかMBAを持っている人がごろごろいて
だから正確な決まりとか原則については
僕はその人たちを頼っていればいいだけで
僕はただ僕の常識でものを言っていた
常識って
ばかにならないなって思ったのは
結果的に
けっこう会計原則に近いことを言っていることに
あとで気づくからなわけ
例えば減価償却についても
何も減価償却の細かい理屈は知らなくても
会計上どうすべきかって言うのは
日々生きてきた常識にもとづいて考えると
妥当なところに落ち着く
税務も同じことが言えるし
海外取引だって人の常識の内なわけ
というのは会計って
もともと世界中の頭のいい人たちの
こうであるべき
というものの取りまとめだから
普通の人の普通の考え方と
それほどの違いがあるわけがない
会計って人の行為の取りまとめだから
人がこうあるべきっていう常識と
かけ離れていてはまずい
でね
こうして、僕は知識がなかったから常識で仕事をしていたって
言ってるけど
だからってその時の僕がそれで良かったのかって言うと
そうではない
やっぱり不完全だったわけ
不完全だから
できることが常識に基づいたことでしかなかった
あるべき姿というのは
両方の目を持った人になること
片方の目は
会計規則を学んで細かいところまで熟知してものが言える自分
もう片方の目は
その知識がこの社会のこの時期のこのケースで妥当かという
常識に基づいた目
言い換えると
一つはそのものに詳しくなること
もうひとつは
その物自体がそれでいいのかをルールではなくて
自分自身から出てきたものの見方で判断する目
ふたつのものの見方
両方の目が必要だよということ
(詩の常識)
この教室を始めて
それって
その考え方って
詩の世界でもちっとも変わっていないな
って時々僕は思うわけ
僕が詩を書くときには
それまで学んできた詩の書き方や心情の表しかたを
全力で
出し惜しみすることなく
つまりは
詩の先端のところで
書いていきたいと思う
でも
それってたったひとつの目でしかない
やっぱり詩を書くときにも
もうひとつの目をもっていたい
そうやって行きたいところまで行った自分の詩が
生きている常識からぶれていないか
っていう目
詩を読むときにも同じ
僕は詩の歴史にもっと詳しくなりたいし
すぐれた詩人の詩はまんべんなく読んでいきたい
詩に詳しくはなりたいと思っているわけ
でも
それもたったひとつの目でしかない
もうひとつの目は
そうして読んでいる詩人の詩を
普通の人として長い間生きてきた常識でも
読んでいたいということ
確固とした頑丈な常識でも
詩に立ち向かいたいと思っている
詩のさまざまな技術を知ることも大切だし
優れた詩をたくさん読んでそれを自分の詩に取り込むことも必要だけど
もうひとつ
普通の目にもどって
日本語をどうやったら美しく置いていけるか
っていうところを
特別な「詩人の世界の目」ではなく
「普通の人としての常識」でも感じていたいと思っていたわけ
(骨折で知ったこと)
で
話をもどすと
それでこの教室は昨年の5月に始まって
やり方は以前に西荻窪でやっていた詩の教室と同じ方法をとった
2010年から2011年にかけて
震災の前後に
西荻窪で4回、これに似た詩の教室をやっていた
でもあの時と今度のが違っていたのは
参加者が倍くらいに増えたことと
それからあの時は2ヶ月に1度だったのが今度は毎月になったこと
で昨年の5月6月7月8月とやっていて
9月の会の1週間前に僕は自転車からこけて左足を骨折し
入院してしまった
入院してすぐに手術をした
その時に
僕としては当然、
詩の会はその月はキャンセルにするつもりだった
でもTさんから「やっぱりやりましょう」というメールをもらって
僕としては正直すごく驚いた
その時に思ったのが
ああこの詩の会は、西荻窪の時とはもう違うなっていうことだった
2ヶ月が毎月に変わっただけじゃなくて
もう詩の会をやる前の僕には戻れないんだな
そこまで入り込んだんだな
飽きたからやめるって言える段階を過ぎたんだな
つまりは
僕の勝手な気まぐれでどうにかできる会じゃなくなったんだなと
思った
もうこの会は
僕のものではなく
参加者一人一人のものになりつつあるんだなって思ったわけ
(田舎の病院で)
結局9月10月と2ヶ月を僕は横浜の田舎の病院に入院していて
Tさん、Sさん、Wさんが、病院まで来てくれて
ほかにも何人か来てくれて
病院でその月の教室の様子を話してもらった
その時のことも
僕としてはたぶん一生忘れないだろうと思う
病院の休憩スペースに机と椅子が置いてあって
お茶を飲んでいる人や
テレビを観ている人がいるんだけど
その一角で詩の話をえんえんとしていた
それがすごく周りから浮いていた
病院の雰囲気とそぐわなかった
そのそぐわなさがおかしくて
僕らはいったい何に夢中になって
こんなに真剣に話しているんだろうって思った
つまりはみんな同じ病気なんだなって思った
詩に取り憑かれている病気
病院では直せない病気なんだと
そういうの
いいなって思った
こんなふうに詩の話のできる相手がいるって
すごく幸せだなって
みんなが帰った後
ベッドに戻って
思った
(卒業する人)
で、なんでこんなことを今話すかって言うと
それにはちゃんとした理由があって
3人の人が
今月でこの教室を卒業するって決めたからなわけ
それでつい感慨にふけってしまった
3人とも昨年の、
この教室が始まった時から来てくれていた人たちだった
でも
卒業するっていっても
この教室は閉じられているわけではなくて
出入り自由の扉がついているだけ
西部劇の酒場についているような
いつもだらしなく揺れていて
外にも内にも簡単に押せるような扉がついているだけ
だから
いつでもまた来てもらってもかまいません
あるいはそのうちに
自分の詩は出さないけど
今日は久しぶりに詩についてのみんなの話を聴いてみたいな
という日曜日があったら
また来てくださいということなんです
考えてみれば
この教室をやることによって
ほぼ毎月、その3人の詩を読み続けてきたということで
これって、僕の人生の中でもそんなにあることじゃない
人の詩を継続して深く読んで行くということは
いままでにない経験だった
例えば雑誌の投稿欄を担当して
送られてくる同じ人の詩を読み続けることは
昔から何度か経験はしていたけど、
それは単に
詩を送ってくる人たちの
その時々の結果をみているだけのことなわけ
それ以上でも以下でもない
でも、この3人を含めたbuoyの会の人たちの詩はそうではなく、
この、今読んでいる詩から、
僕はいったいなにが言えるだろうと考えながら
真剣に立ち向かっていた
この詩にもっと育ってもらうためには、
なにを言えばいいのだろう
という気持ちで読んでいた
時間をかけて、気持ちを沿わせて
毎月、自分以外の人の詩を読み続けるという経験は
そういう意味で初めてだった
なにしろ毎月20人の詩をそういうふうに深く読むっていうのは
投稿詩を200篇読むのとは
また違った時間の使い方が必要になる
例えばある日
家人と用事ででかけた場所で、
家人の用事が済むまで
僕だけそこに待たされるということがたまにある
30分待っててとか
1時間くらい時間を潰していてとか言われて
知らない町に放り出される
そんなときは駅前の喫茶店を探して入る
例えばドトールの奥まった席で
PCを開けてみんなの詩を読み始めることがあった
1篇を読んで感想を書くと
それなりに疲れて
いったん詩から顔をあげる
顔を上げた向こうには
透明な扉越しに駅前の風景が広がっていて
それをしばらくぼーっと見て
前の人の詩が頭の中からきれいに洗い流されたことを確認してから
顔をうつむけてまた次の人の詩を読む
だからひとつひとつ休憩を挟んで見ていくから
時間はかかるんだけど
なんというか、そんな時間の過ごし方が
僕にとっては一番幸せなわけ
ひとつの時間の中で
みんなの詩と駅前の風景が
一枚ずつ交互に挟まれてゆく
で、
さらに言うなら
ドトールで詩から顔をあげて扉の外を見上げる
そのことの集積が
僕の生き生きと生きることそのものであって
それ以外に
しっかりと手に掴めるものはないのではないかとまで
僕は思うわけ
自分が選びとった行為で
生きて行くことのありがたさと幸せを
すごく感じる
何をしていようと
それだけはブレずにやって行きたい
ぼくがbuoyでやっていきたいと思うのが
ちょっと大げさな言い方だけど
そういうことなの
つまり
生きているそのものの行為の中に
3人の詩が
この1年あまりの間
しっかりとしまわれている
ヒトの詩を読むってそういうことなのかなと思うわけ
つまりそれは僕の経験そのものであり
いうならば3人の詩は僕の詩ともなるわけ
誰が書いたかで詩の所有者はいったん決まる
でも
その詩を誰が読んだかで
所有権は読む人にあたえられるのではないかと思う
つまり詩って
すぐれた詩であればあるほど
年がら年中
人から人へ放り投げられているものなのかなって思う
所有者から所有者へ
受け渡されるもの
ということで
3人の詩は
この一年あまりの間
ずっと僕の詩でもあった
3人が来月から来なくなるということは
3人の詩を受け止める自分が
もういなくなるということでもある
それが僕の心境です
こんなに重いことをいうと
この会をやめようと思っている人がやめづらくなるから
もうほどほどにしておきますが
もちろん自由に去ってくれてかまわないわけです
(詩を読むことのあいまいさ)
で、
話は戻るけど
毎回、一人一人の詩について
なにが言えるだろうと考えるんだけど
読む前は
もし何も言えなかったらどうしようと
心配になるんだけど
でも読んで見れば
そんなことを心配する必要はなくて、
詩の方がなにかをいってくれよと
向こうから訴えてくる
ものを書くって
自分で書いているようで
そうでないところがある
自分で考えなくても
詩の方で考えてくれる
人の詩についての感想だって
読む本人が無理やり感想を思いつくのではなくて
詩の中から自然とわき出てくるものなんだと思うわけ
それと
僕が間違って読み取っていたり
そもそも肝心なところを読み取れないという詩も
結構あって
そういう
松下が読み取れないものがあるのだという所を含めて
みんなに見ていてもらいたい
詩を読むことのあいまいさと困難さをも
この教室から受け取ってもらいたいと思うわけ
僕も
ヒトの詩について
自分の感想を先に言うっていうのは
それなりの勇気がいるわけで
そのあとにそれこそ
Tさんや他の人からもっと的確な読み方を示されると
そのたびに恥ずかしさと
そうなのかという素直な思いが沸いてくる
この教室を始めて
僕はずいぶん素直になったと思う
(詩が育ってきている)
それから最後にもうひとつ話をするなら
今月集まった詩を読んでいると
もちろん人それぞれなんだけど
すごいなと思うものが随分あった
去年この会を始めてから
確実に詩が育ってきている人が何人もいる
それって
別に僕のアドバイスがどうのというよりも
この場が育てたのだなと思うわけ
この教室には大抵20人以上の人がいるわけだけど
言うまでもなく松下と20人だけがいるわけではない
松下と20人の他に
Tさんと20人
Sさんと20人
Aさんと20人と
みんながそれぞれの20人と対峙している
つまり網の目のように作者と読者の関係が入り組んでいる
全ての人が一対一の線で繋がっているというか
立ち向かっているわけ
20人が自分の書いた詩を真剣に読んでくれて
何かを言ってくれる機会なんて
そうざらにない
それに
この会の始めの頃よりも
自分の意見を言うヒトがずっと増えてきたし
buoyの会は徐々に変わってきているなというのが
僕の感想
いろんなヒトがいる
いろんなヒトが入ってくる
いろんなヒトが出てゆく
いつもだらしなく揺れている扉の中で
詩についての
決してだらしなくはない話をみんなとしてゆきたい
(まとめると)
で
そんなふうにbuoyの会の人の詩と
これからも幸せな気持ちで一つ一つと読んでいくつもりなんだけど
その時に心していたいと思うのは
決して僕の考えかたを押し付けるのではなくて
それぞれの詩に
僕の読み方を決めてもらってゆこうということ
この会に
僕の詩の読み方を育ててもらおうということ
詩を学んで
詩を究めて
詩に詳しい人だけが共有できる読み方があってもかまわない
でもそれだけではなく
常にもうひとつの目を持ちたい
普通のものの見方というか
普通の人のものの見方というか
確固とした常識の上で詩を読んでいきたいと思う
だからぼくは
基本的に
会社の仕事のときにもそうしてきたように
詩に夢中な人として話をするとともに
それでいて
世俗からかけ離れることのない
柔軟な常識をもって詩の話をしていきたいと思う
詩を読むときには
専門家の目だけで読み切るんではなしに
それで構わないのかと
常に自分に問い合わせるようにして
普通の人の常識を持った目で詩と立ち向かいたいと
思うわけ
だから
詩の専門家の世界だけで通用している詩が
あったとしたら
それで構わないという場合もあることは知っているけど
余計なおせっかいかも知れないんだけど
それでいいのかどうかを
個々に
しっかりと見てものを言っていければと思うわけ
だからって
決して素人におもねるわけではなくて
常に鍛え上げた生きる常識に戻って
詩と向かい合っていきたい
僕は僕の「知識」からだけではなく
やわらかな「常識」からも
ものを言っていきたいと思うわけです
しごく真面目に
以上です。