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2019年5月の話(池袋「こじんまりとした詩の教室」)
 
​詩人として生きてゆく
​    
​松下育男

 

今日は
詩を書いて生きていくっていうのは
どういうことなのか
っていうことを
話してみようかと思います

まだ詩を書き始めたばかりで
スマホやノートに
でき上がってくる詩を
ひたすら書きためているころは
特に問題はない

詩を書いていること自体が楽しくて
それだけのことだから

その世界ですべては完結しているから
それでいいわけです

でも
しばらく書いてきて
自分の詩が
そんなにひどいものではないなと感じる時
というのがあって

あるいは
結構人に褒められたりなんかすると
問題はちょっと面倒になってくる

自分にはそれなりの詩が書けるんだ
という思いと
だったら詩を書いて生きてゆこう
という思いが
せつなくわいてくる

では
詩を書いて生きていくっていうのは
どういうことなのかって
考えると
ただ詩をノートに書きためて行くだけでは
ないはず

というか
それではだんだん満足できなくなってくる

それならば
どうやったら満足の出来る
詩との関わりかたって見つけることが出来るのだろう

詩を書いて生きて行くって
どういうことなのだろう

詩人というレッテルをはってもらって
有名になれば
満足の行く詩人と言えるのだろうか

(一人の青年)

そんなことを考えていて思い出したことが
二つある

一つは
一人の青年の言葉

だいぶ前に
どこかで読んだ若い人の言葉で
「私は将来詩壇で生き残りたい」
っていうのがあった

それを読んだときに僕は
小さく笑ってしまったんだけど

あの笑いは
決して
自分はそんなくだらないことを
考えているのではない

いうのではなくて
この青年は
ずいぶん無防備に
思っていることを言ってのけたものだなという
感想でもあった

詩壇というのが具体的に何をさしていて
詩壇に生き残るということが
どういう条件を満たした誰のことなのかは
わからないにしても
言いたいことは
わかる

(人よりも)

もうひとつ思い出したのは
こちらはすでに有名な詩人との会話です

その人は率直にものを言う人で
「自分は詩で名をあげたいという気持ちが
若い頃から人よりも強かったと思う」
と言っていた

その詩人は
若い頃に願っていたように
著名な詩人になったんだけど

そんな話を今さらするということは
有名になりたいという心根を
自分ながら自慢の出来るものではないと
感じていたのかなと
思う

むしろ後ろめたく感じていたのではないか

でも
その人は
有名になりたいと思う心を
うまく乗りこなして
あるいは
それが原動力にもなって
詩を学び
詩に夢中になって人生を過ごしてきたわけで
そういう生き方は正直だし
だれにもとやかく言われることではないと
僕は思う

詩を書いて人に認められたい
という心の傾きって
すごく理解できるところがある

というのも
詩を書いている人って
そんなに社会生活とか
人間関係を器用にやっていける人ではない場合が多いわけで

あるいはいろんなことが即座に出来る
というタイプの人ではないことが多い

そういう人にとって
うまく生きていけないな
と感じている人にとって
詩を書く
というのは
生きていることの瀬戸際
みたいなところがある

ここを失ったらなにもない
これだけは唯一
人よりも出来る可能性がある
というものだから

あるいは
やっと人に認められるものが私にもあったのだ
という
涙ぐましい可能性でも
あるわけだから

やっと手につかんだものを
さらに強くたしかなものとして
つかんでいたい

そのためには何らかの勲章のようなものが欲しい
というのは
わかりすぎるほどにわかる

(詩はめったに依頼はない)

今話をした
青年も
詩人も
詩を書いて名をあげたい
という人の話であって
詩人としてどうやって生きて行くかという問いには
直接には繋がらないんだけど
どこかで関係しているのかなとも思ったので
ちょっと触れました

詩人として生きて行くって
どういうことだろうなんて
疑問が出てくるっていうのも
そもそも
詩の世界って
ほんの一握りの詩人にしか
原稿依頼がこないっていうことによるのかなと
思う

もちろんそんなことは
詩に限ったことではなくて
様々な分野で同じようなことが言える

スポットライトが当たっていない詩人は
どうやって生きていけばいいのっていう問題です

詩と
どんな距離で
どんなふうに関わっていけばいいの
っていう問題です

僕くらいの年齢になってしまうと
もうそれは気にならない問題で
自分の好きなやり方で
詩と関わっていけるんだけど

まだ詩を書き始めたばかりで
まさに詩を
これから書いてゆこうという人にとっては
切実な問題ではある

さっきの青年の言い方を借りるなら
詩壇に上り詰めていない詩人や
詩壇に上れない詩人は
どうやって詩と関わっていけばいいの
という質問


考えていけばこの問題は深いし
考えさせられることは多々あるんだけど
対処方法は何かって考えると
悲しくなるくらいに単純だと思う

言うまでもなく
待っていても
自分の詩を発表する場は与えられないから
自分で動くしかない

「自分で」書いて
「自分で」人に見せる
それ以外に方法はない

それ以外に方法はないのだから
あとは自分の気持ちの支えかたにかかってくる

生き方にかかわってくる

人生のとらえかたにかかってくる

自分が選んだ行為への
尊敬の度合いにかかってくる

自分が詩を書き
それを人の前に差し出すという行為を
「それだけ」
と感じるのではなくて
生きていることの尊さを
その行為の中に感じ続けてゆく
静かに感動をもって受け止めてゆく
そういう対処の仕方が大切だと思う

そんなことできない
という人もいるかも知れない

詩を書いているからには
ゆくゆくは人から称賛されて
賞をもらって
原稿依頼がしょっちゅう来て
というステータスを目指したいし
そうでなければ詩を書いていたくないと
思っている人も
いるかもしれない

いてもかまわない

いてもかまわないけど
それでは
苦しい生き方になってしまうよと
言いたい

そういうの
キリがないことだから

そんなことばかり考えていると
詩を書くことも
自分であることも
いつかいやになってしまう

詩を書くことがいやになるのは
詩を書くのをやめればすむことだけど

自分でいることがいやになるって
とても恐いことだと思う

栄誉ばかりを求めていると
なによりも詩を書くということとは
別のところに目が行って
心が揺れて
創作に集中できなくなる

有名になるとか
賞を獲るとか
そんなことはどうでもいいから
自分の書いたものは
その詩に一番向いている形で
しっかりと地道に人にさしだしてゆく

そこに集中する

書いた後で
誰かがその詩を面倒見てくれようと
くれまいと
そんなことは大した問題ではないと
いうこと

重要なのは
その手前の
書く
ということそのものなのだということ

詩を書く
というのは
まさに自分だけの行為であり
そこでは存分に学び
存分に楽しむことが出来る

でも
その詩がどう扱われるか
という次の段階になると
とうぜん自分だけの問題ではないから
いろんな事情や
力関係や
運や
経済状態や
友達関係や
様々なことが関わってくるから
あてにならない

あてにならないことに
血道をあげない

詩人は詩を書く

それをひたすら個人詩誌や
同人誌に載せてゆく

それ以上にうっとりする行為は
思いつかない

そう思います

夢中になって詩を書いている
それができているなら
さらになにを望むだろう

そういう意味で
今日の話の初めの
詩を書き始めた頃の
書いて 
詩を書きためていくだけで
楽しくて仕方がないという状態が
めぐりめぐって
目指す場所だと思う

年月が経って
詩人としてすれてしまったあとでも
どこまで初めて詩と出会った状態でいられるか
戻れるかっていうことなんだと思う

そんなのきれい事じゃないかと
言われるかも知れないけど
きれいごとでも
それを通して詩を書いてゆくのでなければ
詩人としてやっていけない

詩とどう関わっていくかというよりも
自分をどう見てゆくかの問題になる

詩を書いている自分を尊敬する

素敵に詩を書いて生涯をすごしてゆこうよ
ひたすらすごしてゆこうよ

今日は言わせてもらいたいと思います

 

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