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2018年10月の話
 
​詩を書く幅、詩を読む幅
​    
​松下育男

 

(詩との出会い)

今日は「詩を書く幅、詩を読む幅」という話です。先日のスパイラルの詩の教室で「詩に関する疑問」ということで、みんなからの質問に答えていった。たくさんの質問に答えたんだけど、それでも時間がたりなくてとりあげられなかった質問がいくつもあって、その中に「松下さんの、詩との出会いはなんでしたか」というのがあった。その辺を今日は話をしたいと思う。「詩との出会いはなんでしたか」って、この質問はすごく大事なことを思い出させてくれる。

(二つの訴え)

さっそく話がそれて申し訳ないんだけど、この教室や先日の表参道の教室ををやっていて幾つかの訴えを聞くことがあった。どんな訴えかっていうと「詩を作ることが苦しい」とか「わたしの書いている詩は現代詩とは違うようなので悩んでいる」とかそんな訴えを幾度か聞いてきた。で、この二つの訴えを一緒くたに考えるべきものじゃないのはわかっている。


一つ目の「詩を作ることが苦しい」というのは、もちろん個々の理由がある。それに、何も答えない前に言うのもなんだけど、この質問にどんな言葉で答えても、解決することなんてとても無理だろうという気はするわけ。人の心というか、悩みって、そんなに単純で、はいそうですかと解決できるものじゃない。いったんは気持ちが変わっても、またじわじわと同じ悩みが湧いてきて、いてもたってもいられなくなる。だから悩んでいるんだろうと思う。でも、あえて答えようとしたとしても、この「詩を作ることが苦しい」という言葉だけではさすがに情報が少なすぎる。では詩を作ること以外の時間は苦しくないのか。あるいは詩を作るということを知る以前には苦しくなかったのか。また、詩を作ることに何を求めているのか。そういうことを丹念に掘り起こしていかないと、「詩を作ることが苦しい」という訴えに対して僕は軽々に返事をすることができない。


また、もう一つの「私の書いている詩は現代詩ではないのではないか」という訴えも、そもそも「現代詩」ってなんだっていうところに話は戻ってしまうから、それでこれについてはスパイラルの方でさんざん話をしてきたからここでは繰り返さない。


だから「詩を作ることが苦しい」とか「わたしの書いている詩は現代詩とは違う」というのは、単純なところから来ているのではないということはわかっている。わかっているんだけどそういう訴えを聞くたびにひとつの感覚を僕は持ってしまっていて、誤解を恐れずに言うなら僕はこれまで、そういう訴えのどこかに違和感をもっていた。


だって、苦しんでまで詩を書かなければならない理由ってなんだろうと思うから。現代詩っぽい詩を書かなければならない理由ってなんだろうと思うから。そもそも考え方の順番が逆なんじゃないかって考えるわけ。詩や現代詩というものがまずあって、われわれの前に立ちはだかっていてそれを乗り越えるために我々はたちむかっているわけではない。その逆で、他でもない自らが詩を選択して書いているわけ。誰に強制されたわけでも誰に頼まれたわけでもない。自由詩を自由な意思で選び取っているのは自分以外にはいない。そこを忘れちゃいけないと思う。そこを押さえておかないといつのまにか主客が逆転してしまう。手を伸ばしているものにいつのまにか追いかけられて苦しんでいる。そんなのどう考えてもおかしい。


もちろんなかなかうまいように書けないとか、一緒にやっている友人はどんどん上達しているのに自分の詩は停滞している、なんてことはあるかもしれない。でも、そんなのどうってことない。われわれは機械じゃないんだから、いいものが一年くらい書けないこともあるし、停滞していることもある。


いいものが書けないことのもどかしさも、生きているという意味に則っているわけで、そうなっている世界にいるんだということを大切に感じたほうがいい。それほど繊細に出来上がっている世界に今いるんだっていうことをしっかり感じていたい。どこかに先にたどり着くために詩を書いているわけではない。


ではなぜ詩を書いているかというと、自分の中のざわざわしたもの、放っておけばそのままで人生を終わってしまうものを、生きたあかしとして詩にしておきたい、詩にしようとしているんだっていうことの行為の尊さのために詩を書いているのであって、それに比べれば人よりいいものが書けないなんてどうってことない。


ただでさえ会社で出世競争をしいられて、さらにプライベートでもどうしろこうしろと常に言われているわけで、勉強しろ、運動しろ、異性とつきあえ、結婚しろ、子供を作れ、長く生きろとやるべきことにいつも追いかけられて、あげくに人に抜かれてばかりでおいてきぼりになって。そんなところにもってきて、なぜ詩を書くところにまで人との競争を持ち込まなければならないのか。詩を書くというのはあくまでも自分と詩との二人きりの世界だということを常に意識していなければ、また変な具合に苦しんでしまうことになる。

(詩でなくてもいい)

このbuoyの会は詩の教室であるけれども、僕はみんなに別に現代詩を書いて欲しいなんて思っていないの。現代詩なんかじゃなくっていい。さらにいうなら詩を書いて欲しいなんて思っていない。別に詩でなくてもいい。詩でなくてかまわない。なんでもないものでかまわない。自分が心を打たれ、なぜだかわからないんだけど惹かれてしまうものをひたすら書いてもらいたいからこの教室をやっているわけ。心を惹かれているものにわざわざ「詩」なんて名前を付けなくてもいい。

(初めに惹かれた詩)

で、ひたすら惹かれるものって何かっていうとはじめに話した質問の、そもそも自分にとっての詩との出会いはなんだということに繋がる。詩との出会いっていうのもだれかに決められたものではなく自分で選びとったものであったはず。その時のときめきを忘れて詩なんか書いていたってしかたがない。その時のときめきがすべてだと思う。それ以上のものなんてない。そのときめきを具体化したい、目に見えるものにしたい、わかる人と共有したい、そういうことだと思うわけ。だから、詩は誰のためのものであってもかまわないけどすくなくとも自分を救ってくれるものでないと意味なんかない。わざわざ時間を費やす必要なんてない。


優れた詩を書けば、多少は褒められて気持ちよくなったりするかもしれない、いいこともたまにはあるかも知れない。でも詩の外に、詩のことで何かを期待したってそんなもの大したものではないし、そんなの自分がひたすら書きたいと思う心に比べればどうでもいいくらいに小さなこと、どうでもいいことなわけ。詩のよさってまさにそこにあるんだと思う。詩は、自分のためにひたすら書いている。それだけでいいと思う。自分を幸せにするためにとか、自分を救うためとかいったら大げさになるけど、すくなくとも自分と付き合うため、自分の孤独を知るため、自分の至らなさを見つめるため、自分の手を握ってあげるためくらいはできる。

(僕の詩との出会い)

では、そのことを思い出させてくれる、僕にとっての詩との出会いはなんだったかというと、やっとここで冒頭の質問にもどるけど、ぼくの場合はほとんど同時に二人の詩人の詩に出会った。


僕は姉の影響で小学生の頃から詩は読んでいて、どの詩人が初めてだったかなんておぼえていない。子供の頃、枕元に茶色の分厚い「中原中也全集」を置いて、目が醒めたらすぐに読めるようにしていたこともあった。でも一番おぼえているのは萩原朔太郎とサトウハチロー。


朔太郎については「月に吠える」を読みながら打ち震えていた。これをまさに読みたいと思っていた。自分が書きたいと思っていたそのままじゃないかと思った。そんなことがあるのか。こんなにすごいものをすでに先に書いている人がいるんだと思って驚いた。生きているっていうことに不思議な感じを覚えた。衝撃的だった。
朔太郎は、もちろん自分とは時代も場所も違ったところにいた人だけど、そんなこと全く感じなかった。まさにここに自分がいる。自分が生まれてきて表現したいと思っているそのままのことが、もちろん自分よりもはるかに見事に作品にしている。つまり、生まれてきて読んでおくべきものがここにあると思った。これを読むために生まれたんだと知った。


それからサトウハチローの方はテレビを通して僕の中に入ってきた。「おかあさん」というドラマ番組が週1回あって、有名な女優がエピソードごとに出てきて、その劇の中でサトウハチローの作った詩が画面に出てきて朗読される。


それからもうひとつ「あすは君たちのもの」っていうNHKのテレビ番組も、たぶん土曜日の夕方にあって、番組で紹介したドキュメンタリーの内容をサトウハチローが事前に観て詩を作り番組の最後にその詩が映ってこれも朗読される。若い人が聞いていてわくわくするような詩だった。もちろん僕も卒倒するくらいにわくわくして聴いていた。画面に映る詩を見ていた。こんなのが書きたいと思った。こんなのが書けるようになるならもうなにも望まないと思った。で、そのためならなんでもしようと中学生の僕はひそかに祈りひそかに決意していた。とにかくたくさん詩を書いて、感じているものを言葉にしたいと思った。学校が休みの時は部屋にこもって一日に十篇も二十篇も書いた。自分がやりたいと思ったことだからもっともっと書きたかった。


だからこの二人、朔太郎とハチローがいたから詩に見事に魅入られた。これが僕の詩との出会いなわけ

(出会いの重要性)

で、あれから50年以上も詩を読んで、詩を書いてきて、ふと思うとあの時の詩との出会い方ってすごく重要だったんだなと思う。というのは、例えば詩を読むときに、僕は無意識のうちに朔太郎とハチローの詩の両者の、両端の幅の広さの中で読んでいたのかなって思うわけ。


つまりね、後に戦後詩、例えば吉岡実や清水哲男っていうものに出会った時にはもちろん朔太郎を読んだ目で読む。でもそれだけじゃない。それだけじゃなくって常にサトウハチローを読んだ目でも同時に読んでいるわけ。それが詩を読むという行為だった。詩を理解し鑑賞するためのふたつの目になった。


つまりね、朔太郎っていうのは僕は今書かれている詩の源流のようなもの、詩そのものだと思っている。日本の詩の本家のようなもの。片やサトウハチローの詩は、詩の周辺、詩のまわりにちりばめられた詩、詩そのものを外から見た詩と言えるんじゃないかと思うわけ。


でね、詩の世界というのは時代が経っても常に、詩そのものの詩と、詩の周辺の詩が並存している。そういう世界だと思う。朔太郎とハチローという二つの視点。つまりは現代詩の中での視点と、現代詩の外からの二つの視点が僕の詩を読むという行為を偏った方へ行かないようにしてくれた。読むという行為をブレないようにしてくれた。


これは詩を書くときも同じことが言える。いつも朔太郎的な現代詩の視点だけじゃなくって、ハチロー的な現代詩の外からの息遣いも入った詩を書こうとしていた。でもそれは意識してそうしていたわけではなくて無意識にそうなっていたんだと思う。そんな気がする。


つまりこれは初めの話にもどるようだけど僕はこれまで、なにも詩や現代詩を書こうとしたわけではない。ただ自分が惹かれたものを書いているだけなの。それが詩と名付けられようがポエムと名付けられようが現代詩と名付けられようが、そんなのどうでもいい。

(老人になった)

詩との出会いは、出会いだけでは終わらない。この二人の詩人への震えがおさまらないまま、そのまま老人になった。たいていの老人が自分の生涯を失敗だとは思いたくないように、ぼくもこの出会いに感謝をしている。幅を持ったふたつの目指すもの、つまり現代詩の内からの目と、外からの目があったことは僕の詩の書き方だけではなくて読み方にも重要なものを与えてくれた。


人それぞれだからみんながそうしてもらいたいなんておせっかいなことは言う気はない。ただ、自分の詩はこういうものだと現代詩の中であまり決めつけないで、がんじがらめにしないで、シャツの首のボタンを外して、もう一つの、現代詩の外からの目でも自分の詩を育てていってもらいたい。そうでないと詩というのは、放っておくとどんどん読み手から離れていってしまう。そういうふうにできている。


例えば宮沢賢治は「春と修羅」だけではなくてたくさんの切ない「童話」を書いた。あのバランスが大切だった。北原白秋は「邪宗門」だけではなくて奇跡のような「童謡」を書いた。だから「邪宗門」はさらに耀いている。寺山修司にだって「少女詩集」がある。だから寺山修司の詩はより鋭く入ってくる。すぐれた詩人の多くは、現代詩ひとつきりのものを作ったのではなくて、つねに外からの視点があった。あるいは創作に幅があった。ぼくにとっての朔太郎とハチローの幅のような幅を、自分の中に持っていた。それを頭の隅にいれておいてもいいかもしれない。
つまりね、振り幅のある詩の読み方、詩の書きかたを見つけて。これから長く詩とのつきあいをまっとうしてもらいたい。詩を読むときは、たったひとつのがちがちな視点で読むのではなくて、詩の中からだけではなくて外からという視点をもちたい。幅を持った読み方でその詩を見つめていれば、詩を読み間違えたり、過大評価したり、わからないのにわかったふりをしてしまったり、あるいはよさを読み落としてしまうようなもったいないことが少しは減っていくんじゃないかなって思う。これと決めつけないで、常に幅を持って詩を読み、幅を持って軽快に詩を書き続けていってもらいたいと思う。


現代詩を読むときには
現代詩を読む読み方だけでは危険だよということ
現代詩の外から読む読み方も併せてしていかないと読み誤るよ、というのが今日のおせっかいな話です。

 

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